3.11あの日、助けてくれたものリスト プロジェクトムービー 河北新報×サントリー天然水
3.11 東日本大震災から10年以上が経ち、その間にも大地震が度々日本列島で発生しました。
天災は忘れた頃にやってくるという昔からの戒めがあるように、人々が油断している時こそ忘れるなと言わんばかりに大きな自然災害が起きます。
日本は自然災害頻発国なのに防災後進国という道を歩んでおり、令和の時代に入ってもそれが改善されることはありません。
せっかく生き延びたとしても避難所の劣悪な環境によって命を落とす人もいて、できるだけ災害関連死を減らすことが課題となっています。
我が国の防災は国民が耐え忍ぶことで成り立っており、政府はそれに甘えている状態で一向に改善する気がありません。
東日本大震災級の自然災害であっても実際に現地で被災しなければ、すぐに記憶から消されてしまい目の前の生活へ戻っていきます。
先祖たちが津波の恐ろしさを石碑に刻んで警告しても、世代が変わればまた家を建て住み始めて被災してしまいます。
それが何千年や何万年周期に発生する災害であれば割り切りもできますが、何十年周期で必ずやってくる災害に対して人々はあまりにも無関心です。
東日本大震災の教訓として津波の脅威を石碑に残すよりも被災者の心身を支えてくれたものを紹介することで、当事者でなくてもいざという時に備えておこうという気持ちにさせてくれます。
日本に住んでいる限り地震から逃れることはできないので、行政を信用するだけでなく万が一の時に自分の身は自分で守れるよう準備しておきましょう。
薬 | 水洗トイレがなかったのと、慣れない環境で、便秘がちに。薬があれば楽だったかなと思います。 |
石油ストーブ | 電気・水道が復旧しないなかでも、部屋を暖めたり、煮炊きして温かい食事ができたりしたのは助かりました。 |
充電器 | 備蓄していた充電器が使えず、父親を病院に連れて行きたかったが、充電が切れてしまったので困りました。 |
テント | 余震の揺れが怖くて家の中に極力いたくなくて、庭にテントを張り、食事などもその中で。 |
液体口腔消毒 | 水がなく歯磨きできない際、虫歯や口臭予防だけではなく心のリフレッシュにもなり子どもも喜んでいました。 |
粉ミルク | 知らないお母さんがくれた、紙コップ1杯のミルク。必死に飲んだ後、娘はぐっすり眠ってくれました。 |
非常用のパン | 食べ物はやはり必需品。今でも防災の勉強会に参加して、いい非常食があれば試し、防災袋に加えています。 |
靴下 | 温かいものも食べられず体の中から冷え切っていたので、靴下を重ねばきしてやっと寝られました。 |
バケツ | 息子たちが雪や雨どいの水をバケツに溜めてくれたおかげで、断水中もトイレを使うことができました。 |
買い物カート | 近くのお宅の井戸を使わせてもらえて。タンクに入れてカートに乗せたら、水も楽に運ぶことができました。 |
ヘッドライト | 小学校の6階に避難するも、トイレは1階。夜、懐中電灯を片手に高齢の両親を支えて行くのは大変でした。 |
アルミシート | 庭に敷いたアルミシートに水を入れたペットボトルを並べて、太陽でぬるくなった水で体を拭きました。 |
生理用品 | 1週間同じ服は我慢できますが、下着はそうはいかず、生理用品で代用ができて本当によかったと思いました。 |
デジカメ | 後々の保険や支払いなどのために、あらゆるものを記録しておく必要があり写真を撮って残していました。 |
ペットフード | 人間用での代用が効かないので、ドッグフードやおしっこシートなどは名前を書いて防災袋に入れています。 |
ガム | 口臭ケアだけでなく、噛むことで気持ちを落ち着かすことができてストレスケアになりました。 |
LEDランタン | 激しい余震でロウソクは危なくて使えない。真っ暗な部屋に、明かりが点いたときはほっとしました。 |
スコップ | 震災後は、人命救助や泥かきを毎日しました。今考えると、動いていれば不安を忘れられたんだと思います。 |
折りたたみイス | 避難所では、冷え切った床にそのまま座るしかなく。お年寄りの方は立ったり座ったりするのが辛そうでした。 |
ドライシャンプー | 電気は早く復旧しましたが、水道はなかなか復旧せず何日もお風呂に入れませんでした。 |
めがね | 避難するときに遠近両用のめがねを壊してしまい、虫眼鏡みたいなもので水汲みや配膳、掃除をしました。 |
食品用ラップ | 停電・断水した自宅での避難生活。食事のときはお皿にラップを巻いて、少しでも洗い物を減らしていました。 |
500mlペットボトルの水 | 2Lでは飲み残してしまったので、500mlの水も用意しておくと、衛生的にいいと思いました。 |
オムツ | 避難所では赤ちゃん用品は少なく、足りずに困りましたが、周りの方に分けて頂き、なんとか助かりました。 |
2Lペットボトルの水 | 飲料水だけでなく、お米を炊いたり料理をしたり。清潔な水は多く必要で、今も自宅でストックしています。 |
帽子 | 避難所では仕切りもなく、様々な人が一緒に生活。人の視線が気になって、帽子をかぶっていました。 |
手帳 | 避難所で生活していると、日にちの感覚がなくなります。手帳やノートは、みんながほしがっていました。 |
ごみ袋 | 貴重な水をもらいに行くとき、ビニール袋を内部に入れたら、クーラーボックスでも抵抗なく水を入れられました。 |
ガムテープとペン | 携帯電話も使えない中、一番伝わるのは書かれた情報。給水所の場所などを書いて、家の外に貼り出しました。 |
トランプ | 親も自分も不安に包まれていた中、初めて家族でしたトランプが、空気をなごませてくれました。 |
軍手 | 割れ物の片付けはもちろん、子どもに履かせ靴下がわりに使いました。丸めてキャッチボールもできました。 |
乾電池 | 普段使わないので、液漏れしている乾電池もありました。今は長期保管可能なものをストックしています。 |
毛布 | 避難所には高齢者と子どもの分しか数がなく、毛布が入っていたビニール袋を体に巻いて寒さをしのぎました。 |
ラジオ | 避難所で、報道が聞こえて。外でも誰かが動いている、生きようとしている。そのことに安心しました。 |
ブルーシート | 敷くだけではなく、風よけや、着替えの際の目隠しなど、いろいろ使えて便利でした。 |
飴玉 | 喉がカラカラだったときにいただいた黒糖飴がとてもおいしかった。心まで落ち着きました。 |
段ボール | 避難所で、子どもが泣いて迷惑をかけるのではと、眠れませんでした。仕切りになるものが欲しかったです。 |
おしりふき | 泥かきで手が黒光りするまで汚れて、心も荒んだとき。いただいた1枚のおしりふきに助けられました。 |
新聞紙 | 地震の衝撃で、リビングには割れた食器が散乱。新聞紙を敷いたおかげで、怪我もなく過ごせました。 |
寝袋 | 震災後、車で高台に避難。たまたま積んでいた寝袋に、飼っていた犬と一緒に入って眠りました。 |
カセットコンロ | 家族と連絡がとれず、不安な中の帰宅。家にいた家族とあたたかい食べ物を食べた時間は、ほっとしました。 |
使い捨てカイロ | 築30年以上の家は崩れる心配もあり、車の中に避難。ガソリンを節約するためにカイロで暖をとりました。 |
10円玉 | 携帯電話の電池はなくなってしまい、公衆電話で連絡をとるために貯金箱からかき集めました。 |
マスク | 寒い時期、大勢の人が集まる避難所や給水所。風邪をひくのが怖かったとき、マスクで対策でき安心しました。 |
ハンドクリーム | 浸水した1階の片づけや泥かきを10日ほど行い続けました。手が荒れてしまい、とても困りました。 |
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